「常識」を疑ったことはありませんか
私はよく人に「就活しないよ」と言います。
それは、「自分で事業を立ち上げる」という夢があるからです。
もちろん、本当に就活をしないかどうかは分かりません。
会社に入り、身を持ってしくみを体感するのは大切だと思っているので、もしかしたら就活はするかもしれません。
しかし、今回の話の目的はそこではなく
あのセリフの後の、みんなの返事にあります。
私が就活したくない、というと、大体の人は
「いやいや、就活は絶対しなあかんから(笑)
自分もめっちゃ嫌やったけどやったしな〜」
みたいなことを言います。
私はそこで
「なぜ、大学卒業後には企業に就職しないといけない、という決まったレールがあるように話すの?」
と思ってしまいます。
実際には、そういう法律もルールも何も無いですよね。
これは、ほとんどの人の中で「常識」のようになっているのだと思います。
学校も、なぜ、小学校が6年、中学校3年、高校が3年と決まっているのか、疑問に感じたことはありませんか?
学校で学習している中で、もう忘れてしまった知識や、使わないと思っていた知識はありませんでしたか?
「なぜ、それを今やるのか」
全てを理解しながら勉強していた人は、きっと少数だと思います。
私がこの「常識」を疑い始めたのは高校3年の冬休み明けでした。
最後の席替えで、1番後ろの席になり、将来使わないと見切っていた授業では全て内職をしていました。
「古典」「日本史」「世界史」
などはほぼ内職でした。
先生ゴメンなさい。
そして、内職ではイベントのブッキングやタイムテーブルを組んだり、とにかくイベント関係のことを沢山していました。
特に午前中は、集中力がUPする時間帯なのですごく作業が捗りました。
今ではその作業が出来たことから「あの時間があって良かった」と言えますが、もしも出来ていなかったら…
学校は「毎日行かないといけない」という「常識」がありますよね。
私はこの常識も「やるべき事がハッキリしている」
のであれば、毎日行かなくても良いと思います。
休むのは「卒業できる範囲で」ですけどね…。
学校での勉強が本当に自分の未来に必要なのか。
それをもう一度考えるべきでは無いでしょうか。
大学は経営学部に行きますが、「ドイツ語」や「フランス語」の授業が、なぜ必修なのかが分かりません。
きっと、これからの社会では「グローバル化」が進むとされているから。だとは思います。
しかし、グローバル化に目を向けている人であれば、自ら進んで外国語を勉強しているはずですよね。
私は、やらされてる感が出てしまうものはどうしてもやる気が出ません。
就活だったり、学校だったり、「あたりまえ」と思われていますが、その「あたりまえ」と「自分にとっての価値」はまた違うと思っています。
これからもぶつかるであろう数々の常識を「あたりまえ」だと思わずに、疑って、自ら良い方向に進んでいきたいです。
みさきのTwitter
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