学び続けるという後天的な努力
人は、産まれた時は誰しも何も出来ない。
歩くことさえ出来なかった。
誰だってそうだ
オリンピック選手も、会社の社長も
身近にいるライバルも
だからこそ、自分にも「勝機」がある。
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誰だって、やりたい事や夢を追っていたいけど、そうは出来ない現実に直面してしまう時があると思います。
正確には、直面したように思わされた。
「天才には叶わない」
成功した人を、そんな目で見てしまうこともあると思います。
でも、生まれながらにして天才なんていないんですよね。
みんな同じ、ゼロからのスタート。
生まれ育った環境や、両親の教育方法、学生時代の体験など、そこで優劣はあるかもしれません。
しかし、その過去の出来事が
あなたの「今」に何を影響させるのでしょうか。
過去の出来事が、実質的にあなたの「今」に及ぼす影響など何もありません。
私は、(昔の出来事)だから○○が出来ない。という理論は、存在しないのではないかと考えています。
これからの人生をより良くして行けるかは、後天的な努力、つまり今からの姿勢に全てかかっていると思います。
その中でも、「学ぶこと」
何をするにしても、これ以上に大切なことはないと思っています。
そして、学びというものは、後天的なものです。
生まれながらにして知識と教養がある人を私は知りません。
だから「学ぶこと」でなら、圧倒的な量を積み重ねることで、他の人に勝つことが出来る。
そして、学んだことを「生かす」ように努力することで、今度は結果を出すことが出来る。
私はそう信じています。
私の家は、音楽一家でも、両親がとびきり賢いわけでも、裕福なわけでもありません。
「だから諦めなければいけない夢」は無いはずです。
周りの人から、自分のやりたいことに対して「それは絶対に無理だ」と言われたとして
果たしてその人は、あなたがしようとしていることをやってきた人ですか?
無理だと思う理由を明確に述べられるような人ですか?
もしかしたらその人は「自分がやってきていないから、他の人が夢に向かって頑張る姿を見たくない」と心の底で思っているのかもしれません。
人間は、自分とは異質なものを排除しようとしてしまいます。
私は他人に「絶対に無理だ」と言われた時
「無理かどうか、本気で試してくるから見ててよ」と思っています。
無理かどうかなんて、他人にとやかく言われる筋合いはないんです。
私の基準として「結果」についてとやかく言う人は相手にしていません。
「それは失敗する。」「出来ないよ」という人のことです。
始めからできない方向で考える後ろ向きな人の意見を聞いていては、自分が頑張れないからです。
でも、「過程」についてアドバイスをくれる人の話はしっかり聞いています。
「こうした方がいいよ」「この方法があるよ」という、「どうしたら出来るか」を考えてくれる人のことです。
そして、そこからそのアドバイスが自分にとって適切なのかをしっかり見極めます。
この基準も、数々の学びがあったからこそ導き出すことが出来たものです。
「学び」とは、努力だと思っています。
自分の時間を、いかに知識を付けるために投資できるか。
ここを理解することで、将来のチャンスや考えられる幅が広がると考えています。
そして、これは「後天的な努力」です。
今もなお「学び続ける」という「後天的な努力」で、誰でも良い将来を作ることができるんじゃないか、そう思います。
そして、「学ぶこと」に対して、どれだけ自分の時間を投資できるか。
これが将来、「幸せ」というリターンとして返ってくると思います。
良い将来を自ら作るために、これからもずっと、学び続けていきたいです。
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